私と祝島と上関原発 1

祝島漁協(現・支店 以下、祝島と略す)が漁業権を捨てない限り、原発建設などできないことはあちら側も分かっています。漁業権の解決もないまま、原子炉設置許可もないまま、埋立の許可だけは出し、そのうち漁業権を捨てる、そのうち捨てさせる、その見込みだけで工事も並行して進めようとしてきました。その30年以上に亘る圧力と執着を祝島島民は一身に受け続けてきたのです。

祝島は「漁業補償金の受け取りを拒否する」過去に何度も決議され決定しています。そこから漁業権を奪うところまでたどりつくことなどとうてい無理な話しです。共同漁業権管理委員会の中でなにを決定しようとも、漁業権は財産権・私権を持つ漁業者当人たち全員が同意した正式な書面がない限り、拘束などできるわけがありません。裁判でも「祝島の漁業権はもう消滅しています」という判決は出ていないし出せるわけがないのです。そのような判決が出ていれば、漁業補償金を受け取るかどうかなど関係なく、いまごろ工事は着々と進んでいるでしょう。中国電力は「もうすべて解決済み」だと大きな声を出して強行はしてきますが、それゆえ阻止行動を強制排除することができません。正当な手続きによって証明できる合意形成の欠片さえないから、阻止行動に対する嫌がらせ訴訟(スラップ)しか打つ手がないのです。すなわち、漁業権の「強制収用」はできないということです。

これはあちら側の行動を逆算すると見えることです。図らずもあちら側の行動すべてが、真実はなにかを明らかにするわけです。漁業権の解決もないまま埋立の許可を出してしまったことは山口県の自爆であり、埋立の許可が下りただけで漁業補償金を支払ってしまったことは中国電力の自爆です。その尻拭いを山口県漁協がやらされている形です。そしていま福島原発事故の無残極まりない現実が突きつけられています。あちら側のやることなすことが裏目裏目に出ています。

祝島の漁業権は今も健在です。そして祝島こそが常に正当なのです。社会的な正当性を有するのは祝島なのです。社会的な真実は、原発建設などしてはならない、原発建設の一切はできないということなのです。建設予定地からもっとも至近距離に居住する祝島島民全体の財産権、これを漁業者だけではなく、祝島島民ひとりひとりの正当な手続きに基づき証明できる合意形成へと広げた場合にも、これは社会的に絶対認められることではないですし(祝島には農業者もいます)、建設はできません。ここでもそれゆえ、あちら側は"漁師"と"島民"を分断し、漁師の漁業補償金受け取りに執着するしかないわけです。

そんな現在、安倍政権、山本県政になってから加速する、"もう終わった"埋立免許の失効先延ばしと迫るその期限、"もう終わった"漁業補償金を受け取らせるための動きがリンクしています。あちら側は異様に焦っています。そうです、今のうち、今のうちにしかもう道はないからです。埋立免許失効先延ばしから以後、山口県知事に発言させたいこととはなんでしょうか。

漁業権の放棄、漁業補償金の授受に関する決定は、漁業者3分の2の同意があった上で、漁業者が選出した配分委員と漁業者全員が話し合い配分案を決めて行きます。最終的には漁業者全員の同意と全員の正式な書面への署名・捺印が必要なのです。つまり、全員の同意があってようやく成立するものです。これが漁業法であり、解釈の立ち入る隙もない、漁業者の中で絶対的に守られ続けてきた慣例、ルールです。

あちら側はこの出だしからつまずき転んでいます。埋立免許失効の延長と同じく、過半数での受け取り決定など無効なのです。それは祝島島民全体を侮辱する行為でもあります。そして祝島の漁業者全員の同意、書面への署名・捺印など絶対にできるわけがありません。それを知りながらもあちら側はいったいなにを画策しているのでしょうか。

漁業補償金の件がマスコミを通じ、過半数の賛成多数で「決定」されたと恐ろしくカットアップされた状態で報道されました。そして祝島側の正当な訴えが強硬な姿勢と映り、まるで祝島がゴネているように印象づけられます。ここで"祝島"と"私たち"が分断されます。過半数の決議やそこに至る手続きが無茶苦茶なことぐらい、マスコミだって知ってるでしょうし、全国の漁業関係者だったらもっと知ってるはずです。これではあちら側が、漁業補償金の受け取りが成立しましたよと世間に吹聴することにつながります。続いて山口県漁協が勝手に決めた配分案を持ってして、漁業者の一部同意を取り、これで漁業補償金の配分も決まった、漁業権も消滅した、すべては解決したと虚偽の情報を世間に印象づけ、山口県は埋立免許延長の建前にする。そこまでなりふりかまわず持って行きたいのかも知れません。これらあちら側の、無法地帯と化した幼稚で無責任な所業を早急にチェックし裁く機関はありません。まだ間に合います。祝島島民と私たち自身の手で抑止し裁くしかないのです。

たとえば、日本に新しく原発を造るのはもう無理だから世界に原発を輸出する、という見方もできますが、逆に、日本に新しく造ることもできない代物を、世界が歓迎するでしょうか。日本にひとつでも新規建設計画があれば、どなたかのお膝元に計画だけでもあれば、セールスも上手くいくでしょう。山口県は中国電力の筆頭株主です。山口県も原発交付金は欲しいでしょう(13年度申請済み)。最終的に建設したいのかどうか、するかどうか、やるやる詐欺で引っ張り続けたいだけなのかは分かりません。山口県漁協が祝島の漁業権を奪えないことで、山口県が埋立免許も失効させ、そこを断念・白紙撤回の落としどころとすればいいのですが。

祝島と、私などよりもっと長い付き合いの人たちは、補償金なんかこれまでの迷惑料としてもらっときなさいというそうです。共感共苦の精神。私も、どうであろうが祝島との付き合いはなにも変わりません。祝島の人たちがたまらなく好きなのです。それだけです。あの小さな離島で、あんな少数で、とてつもなく巨大な権力と、来る日も来る日も、誰が、あれだけの長い間、直接的に闘えるというのでしょうか。つらぬけるというのでしょうか。木っ端相手じゃないのです。島の暮らしを守る、その小さな島の住民運動が、結果的に日本の未来を守ることにつながっているのです。そして巨大な権力が汚い手しか使えなく、汚い手を使っても行き詰ってしまったことは、祝島の島民がそこまで化け物を追い詰めたということでもあるのです。今や反原発で名前が売れて多大な影響力を持ちその看板を生かして・・・それはそれでいいでしょう。ただ、私は、反原発を食べているのではない。私は、祝島のビワやヒジキが安全で質が良く、抜群に美味しいから食べるのです。

ゴロタ浜に広がるヒジキの群生は、まさに「宝の海」そのものでした。ヒジキを採りながら祝島のTさんが私にいいました。「ここでこうやっていること、この毎日の営み、それがもうすでに、原発とは反対の、対極にある暮しになっている」と。

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長崎のこうばる地区という所でも、ダム建設に反対するお爺ちゃんやお婆ちゃんたちがいるといいます。そこも30年以上闘い続けているそうです。トタンの監視小屋、今でもお婆ちゃんたちが集まるといいます。昔の写真、村でのデモ行進。足の悪いお婆ちゃんはリヤカーに乗せて。私はなにも知りませんでした。
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by antiagainstanti | 2013-10-20 13:31 | ANTI TWEET BOOK


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